葬儀や葬式に火葬はつきもの

歴史

haka

もともと、火葬という風習は仏教に関与する習わしである。
日本に伝来してきたのも、仏教伝来と同じタイミングであると言われている。
そして、最初に火葬された人物は道昭と呼ばれる僧侶であり、それは700年のことであるとされている。
これは、古来から火葬という文化が日本に伝わっているということの表れである。

しかしながら、日本においてこの方法が広く一般的になるのは江戸時代頃のことであった。
それまでは皇族や貴族などの一部上流階級が選択するのみであり、後はすべて土葬とされていたといわれている。
それが江戸時代になると、大都市圏では火葬が一般庶民にも浸透しだすようになる。
当時は炉に入れて焼くのではなく、地面に穴を掘り、薪を重ねて棺を起き、その上にまた薪を重ねて火にくるんでいた。
明治維新直後の廃仏毀釈運動の中で、神仏習合思想を撤廃するために仏教文化の代表とされる火葬は一時禁止された。
しかしながら、その後すぐに都市生活者を中心に不満の声が上がり早々にこれは撤廃されている。
それ以降は本格的に、遺体を焼くという文化が広まっていくことになったのであった。

もくじ

移動

告別式を行った会場から、最後のお別れをするにあたって火葬場へ移動する必要がある。
その際の移動は、霊柩車を利用して運ぶことになる。
霊柩車には、喪主と運転手、そして棺が乗る。
その後に続く車に、遺族が位牌や遺影を持って乗り込む事になる。

僧侶などの宗教者に関しては、自家用車で移動することもあるがゆえに事前の確認が必要である。

参列者が多くなる場合はマイクロバスを利用しての移動となることもある。
また、車両の数が多くなりそうな時は事前に乗車票を用意して、それを渡すようにしておくとスムーズな移動が可能となる。

行きの移動に関しては、葬儀社が車両を用意してくれることもある。
その辺りもどのようにするか、業者との話し合いと確認を行っておいたほうが良いといえる。

流れ

実際に現場に着いたならば、まずは炉の前に棺が安置される。
その際に位牌と遺影も安置し、最後のお別れを行うことになる。
この段階での流れは地域や宗派によって違うことも有り、全てに共通の流れがあるわけではない。

遺体を焼く間は、待機室にて参列者を喪主や遺族がもてなすことになる。
場合によっては、この時に精進落としと呼ばれる会食を行うことも可能である。
およそ2時間程度はかかるといわれているため、その時間を活かすことが可能である。

休憩所などがないこともあるため、事前に段取りを確認しておくほうが良い。
場合によっては、一旦葬儀を行った場所へ戻ることもある。

係員から火葬が完了したと連絡があれば、炉の前に集まり拾骨を行う。
拾骨の際には、喪主から順番に二人一組で足の骨から行うようにする。
足の骨から行うことで、骨壷の中で立ち姿になるように完成させるのである。
最後に、喪主ないし最も血縁関係が深かった人が喉仏の骨を拾い収めて、拾骨は完了となる。

最後に、埋葬許可書を返却してもらって、一連の流れは終了となる。

遺体を焼くにあたって必要な炉の種類は、関東と関西で違っている。
関東では、多くの現場でロストル式の炉が利用されている傾向にあるといわれている。
炉の中にロストルと呼ばれる骨組みを設置して、その上に棺を載せる形式である。
これによって、焼けた骨がロストルの下にある受け皿の上に落ちるようになっている。

また、関西では台車式の炉が好まれる傾向にある。
炉の中に台車をそのままはめ込んで焼くことによって、骨の形がそのまま維持できるのが特徴である。

尚、近来では前室付きの台車式炉が流行りつつあるともいわれている。
前室があることによって、棺を挿入するときに炉の中を参列者に見せることがない。
また、前室の扉を閉めることで、参列者に棺を開けて副葬品などを除去する所を見られることもない。
さらに、炉とホールとの間に空間ができることで防音となる。
その上で、炉の中の臭気がホールに拡散しない上、残った遺骨を拾骨台へ移す作業も円滑に少人数で進められる。

様々な理由から、現在では前室付きの台車式火葬炉が好まれるようになってきているのである。